トモダチ

パパ友のLINEグループを作ろう。そう言われたのは、休日の海浜公園。息子のクラスメートが集まるBBQ会場。息子は保育園に入って3年。主に母親達が地道に形成したネットワークで、この度の交流会が実現したのである。息子達は同い年でも、親の年齢はバラバラ。校風、社風、世代といった枠組みのない多種多様なパパ達。工事現場のパパ、部長のパパ、僕は埼玉に単身赴任のパパ。人生色々。年齢職業肩書が全然違うのに、子どもがタメだから対等、という歪な世界観。僕は人見知りだから、そういうトリックルームでは著しく心身を消耗する。仕事なら良いが、これは無給である。だいたい僕はBBQ自体好きじゃない。外で肉を焼くなんて旧石器時代みたいなことをやりたくない。野蛮である。熱いし煙たい。全然行きたくない。でも断ると妻から人間の屑扱いされる。頑張ってシフトを調整した。炎天下、嫌々赴いた会場。見知らぬ大人達がたくさんいる。ATフィールド全開。着いた瞬間帰りたいと思ったが後戻りは出来ない。僕は自分に喝を入れる為にも「おはようございまあす」とアホみたいに挨拶した。腹を括れば僕だって一応社会人。率先して肉を焼き、謙虚な笑顔でビールを配り、かつてボスが僕を評した「ちょうど良い気持ち悪さ」を全面に出して笑いを取ったりする。しかし全ては打算計算に満ちた行動。自分の立ち位置を探しているピエロ野郎に過ぎない。就職活動のグループディスカッションに似ている。初対面の不特定多数に心を開いたフリをする苦行。それが3時間も4時間も続く。久々の直射日光はいよいよ辛い。早く帰りたいが、子どもたちは死ぬほど楽しそうにしている。母親達も話題は尽きないようだ。僕はヤケ糞になって子ども達と氷鬼をした。超疲れた。そして誘われたパパ友LINEグループ。露骨に嫌だった。思い入れの無いコミュニティが休日、僕の携帯をバイブさせる憂鬱。そもそも最近、休日に携帯がブルブルするときは大抵職場からの悪い報告だから、スマホの通知=負の現象、と身体が調教されてしまっている。ポケットが振動するや否や、脳裏によぎる職場の風景。事件ですか、事故ですか。胃が収縮し、ほうれい線が2ミリ程深くなる。悲しい犬。まぁ通知は切るとしても、既読未読とかめんどくさい。休みの日までグループディスカッションしたくない。しかし僕だって大人だから、断らずちゃんと嬉しそうに加入しました。ええ、良いですよ。どっちがQRを出すんでしたっけ。フヒヒ。17時。ようやく終わった。満身創痍。風呂入って寝たい。そんな矢先、できたてのグループから通知。「パパだけで、この後飲みませんか!!??」僕は絶望した。マジで行きたくなかった。でも妻に行けと言われて行きました。妻子を置いて宴とは、腹立つが致し方なし…みたいな雰囲気を出されて納得いかなかった。行った先で、これからは皆、あだ名で呼び会いましょうよ!と工事現場のパパからゴリ推しされ、冷や汗が出た。以後、そのLINEグループは動かず安心している。あるいは僕を抜いて新しいグループを作ったのかも知れない。

 

僕は1人で遊ぶのが好きだから、特に大人になってからは一向に友達が増えない。1人で本を読んで1人で音楽を聴いて、1人で旅にでて1人で文章を書くのが至高。好きなものに囲まれて、好きなことをするってサイコー。かくして子宮内で自らの小便を飲む永久機関が完成する。それが僕。自意識が肥大化し、友達ができなくなる。要はプライドが高いのですね。よく言われます。「誇り高い」は百獣の王っぽいのに「プライドが高い」は完全に小物な不思議。思うに、前者と後者を分けるのは実力の有無だ。おかしいなー。俺は渋谷のハロウィンにも参加せず、サッカー日本代表も応援せず、ひとり高尚な思索に耽っているのに。その姿はさしずめ令和の鴨長明といったところか…等とPornhubのリンクを辿りながら考える。それが僕。加齢による改善を期待していたのだが、むしろ開き直って悪化する一方。天の川銀河は直径が10万光年あるのに、何故、僕の人間関係如きで一喜一憂しなきゃならんのか。部下を飲みに連れ出すことも無く、誘われても断る。職場のコミュニケーションは定時内で充分。勤怠を切ったら即帰宅。昔のように時間は余っていない。貴重な時間を他人の為に使うくらいなら、俺は帰って自分の為にエロヴィデオを見る。人生は短い。一向に友達は増えない。

友達を作るのは一大事業だ。長い年月をかけて、恥をかきながら、相手に自らの陰部を晒し続けないといけない。僕のプライドの高さ、面白くなさ、見苦しさ、気の利かなさ、下劣・凡庸な思考回路。その他諸々の、ろくでもない本性を暴かれ、時に叱られ、時に共感され、熟成される関係性。尻穴まで覗かれた経験が担保する信頼。無警戒で急所を露出できる安心感。それが友達。そんなものを今更作ろうにも、大人になった僕はグループディスカッションのスキルが高まって陰部を上手に隠しがちである。いいとこ口当たりの良い部分を切り売りして「ちょうど良い気持ち悪さ」を演じる程度。アンダーコントロール。打算が織り成す仮面である。こんなやり口で、仕事仲間は作れても友達は出来ない。

等と一貫して開き直れるのは、僕に数少ない友達が居るからだ。僕のクソさを知る友達が1人でも居れば、それ以上望むものは無い。その他の人々は、せいぜい僕のことをイイカジーに思ってて頂ければ良いのである。