俺たちはまた旅に出た

このとりとめのない人生。道なんて無い。上下左右すらない。歩いているようで、流されているだけな気もする。気づけばここに居た、という方が実感として強い。そしてこれからも、どこに向かうのか、なにがその先にあるのか。なにもわからない。いろんな過去を思い出す。それは目盛の付いた一本のまっすぐな道というよりは、島から島へ漂流した、時系列の前後すら曖昧な、取り止めのない旅の記憶みたいに思える。5才の隣に34歳があったり、22歳の隣に17歳があったりする。僕は成長という言葉はあんまり好きでは無い。僕はずっと僕のままだからだ。僕という人間は何も変わっていない。今でもゆずを聴き、村上春樹を読む。20年前の僕が知ったら驚くだろう。おい。お前は35になっても、ゆずを聴いて、村上春樹を読んでるぞ。何も変わってない。できることが増えたり、遠くまでいけたり、些細なことで心を乱されなくなったり。それは技術的な問題に過ぎない。やり方を知ってたら、中学生の僕にだって出来た。それをできるようになったというだけのことだ。外からの刺激が核を傷つけないように設計された特殊な回路や、感情を適切なアウトプットに変換する道具たち。僕が強くなった訳じゃ無い。言い換えれば、相対的に世界が弱くなった訳でも無い。今も昔も、世界は僕のことなんか知らない。世界は初めから、僕の敵でも味方でもない。世界と僕の関係性なんて無い。そこにあるのはただ一つ。僕の僕に対する、折り合いのつけ方だけだ。バチン。そしたら、世界とはつまり僕である。考え事をするとき喫茶店の向かいに座るもう一人の僕は、世界の投影でもあるのだ。僕は、ボールペンを走らせながら脳みそを探索し、そのまま世界を読解する。手持ちの道具も少しは使い慣れてきた。1に文脈、2に語彙、3に調和。たぶんそんな感じだ。全てを説明する万能の物語はない。それができるという奴は嘘つきの詐欺師だ。世界がそんなに、人間向きな訳ないだろう。それは人から与えられるものではなく、自分で削り出すものなのだ。削っては壊し、壊しては削り、その集積こそが僕の人生なのだと思う今日この頃であります。

MOON SHOT

楓の初作品「MOON SHOT」が発売された。11曲が収録された今作は、5年間に及ぶ活動の集大成だ。

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学生時代から楓の才能は群を抜いていた。追随を許さないギターテクニック。個性の確立された歌声。観客を惹き込む構成力。ファンは多かった。にも関わらず楓は曲を作っていなかった。作品を世に出す以上、それは送り手側のベストで無ければならない。しかし最善の模索には膨大なエネルギーを要するし、その意欲は自分だけの武器を持つ確信がないと続かない。楓にはまだそれが無かった。

そんな彼に社会人になってから転機が訪れる。きっかけは路上ミュージシャン、ミナミシンタロウとの出逢いだった。その演奏に楓は衝撃を受ける。録音と多重再生をステージ上でリアルタイムに展開する機材、ループマシン。音が幾重にも重なり独特の世界が立ち上がる。これが1人での表現に限界を感じていた楓の創作意欲に火をつけた。抑圧していた欲求が爆発し、解放された悦びから「星の瞬き」が誕生。その後も作曲とライブの試行錯誤を数年間繰り返した。楓は多くの聴取の心を掴んだ。中には彼の歌で涙を流す人もいた。手応えのあった曲を、楓は地道に集めていった。

そして満を辞しての録音。luckeynote氏の力を借り1年かけて納得のいく作品を完成させた。タイトルは楓の好きなビジネス用語から取った。縛られていた頃の彼からすれば、この作品は正にアポロ計画のように壮大で胸躍るプロジェクトだった。困難も多かったが今、かつて見上げた月面に楓は立っている。地上から月を眺めた日々も悪くは無かったが、大人になった我々は月に立つことだってできる。歳を取るのも悪い事ではない。

最後になるが、楓にも花言葉があった。大切な思い出。そして美しい変化である。

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【1.Once in a blue moon】…楓が昔から何気なく弾いていたフレーズ。街の喧騒音を挿入するとこで日常と作品の架け橋になっている。終盤から星の瞬きのトラックが逆再生でフェードインし、2曲目のイントロに差し替わる。

【2.星の瞬き】…音楽を始めた歓びに突き動かされ、理想を思う存分に追求。ギターとシンセサイザーのループが宇宙空間の奥行を感じさせる。そこにアップダウンの激しい、躍動感のあるメロディを乗せた。初期から歌い続けている定番曲だがレコーディングは難航し、着手から1年後に完成した。

【3.PLUTO】…公転に影響を与え合う二重惑星と、離れても続く人間関係を重ねた曲。エレキギターをループさせ、ベースはluckeynote氏が演奏。バンドサウンドの編曲になっている。

【4.サーカス】…ループフレーズを発展させ作り上げた曲。ループマシンという格好の武器を手にした楓は、実験を繰り返していた。タイトル通り浮遊感、奇術感を感じさせるトラックが先に完成。無垢なボーカルはサーカスを観る子どものイメージ。

【5.夏の夜】…楓のライブでは中盤にこのようなシンプルな弾き語りが入る。夏の夜はループマシンを使った他の曲に劣らない反響があり、支持者が多かった。五音音階で作曲し日本らしさを出している。歌いやすさと聴きやすさを追求した結果、キーは高めに設定された。

【6.LANDSCAPE】…テンポよく爽やかな曲だが、当時は仕事で追い詰められ最悪の心理状態だったという。閉塞感で潰れそうなときこそ、広い世界を俯瞰しようという想いで作られた。「でも最後は自分の内側で答えが出る。だからこれは内省の歌だ」と楓は語る。レコーディングは秩父の合宿で日付が変わるまで行われた。

【7.フリダシ】…F起点のコード進行など複数の実験を行ったがテンポ良く聴きやすい。マンドリンに近いギターと、脳天気な音色の鍵盤をループさせた。作曲は2019年。完成後、偶然にも雨と台風が世間を騒がせた。「天気の子」公開の時期でもあり、因縁を感じさせる。

【8.NO7】…あえてテーマを設定することで普段作らない振り切った曲が完成。自らに課したのは「Final Fantasy 7」の主題歌だった。楓の好きなバンドのオマージュでもあり、アルバムの中で個性を放っている。

【9.夕焼けメモリー】…風通しの良い曲展開。楓は昔から夕焼けに惹かれ、今でも日の入りには足を止めて空を眺める。オルガンを挿入することで雄大なアレンジに仕上がった。コードを追うハモリが楓の好みで、この曲はストイックにそれを貫いている。

【10.STAY】…肯定感に溢れた歌詞と突き抜けるボーカルが心地いい。前向きに振り切った曲でアルバムのフィナーレに繋げていく。ライブで受ける評価が高かったため録音は早い段階から着手。レコーディングの足掛かりになった。ピアノをループさせ、最後は機材によってトラックごと転調させている。

【11.夢の墓標】…ライブでは弾き語りで演奏されるがCDではluckeynote氏のミックスで聴き応えのあるバンドサウンドになった。一見ラブソングだがタイトルで夢が主題と気付く。楓は一時期音楽を辞めそうになったが、自分への応援歌としてこの曲を作った。苦労も失意もある。それでも夢は野垂れ死ぬまで持ち続けなければならない。

2020.3.13 解説・mugibtk

 

Trailer:luckeynote氏作成

https://m.youtube.com/watch?v=sPQcwuYVM4k&feature=youtu.be

心音風景

計算すればたぶん3才の頃だが、記憶がある。鹿児島県垂水市桜島が大きく見える海沿いの田舎町。祖父母が営む雑貨屋の上階は居住スペースになっており、狭くて急な階段を上がった先、ひとつ目の和室に祖父は横たわっていた。外は快晴。2階廊下、洗濯機近くの小さい窓から、陽に照らされた草木が見えた。部屋が薄暗かったので、その四角く切り取られた緑色が印象深い。父親の姿がしばらく見当たらなかった。母に向かって、退屈だから父と遊びたいと言うと、お父さんはお熱があるから、今日は遊べないと言われた。父も熱が出て寝込むことがあるんだ、と感心した。仰向けになった祖父の周囲には何人か正座していて、皆とても静かだった。しばらくして、どこからともなく父が現れ、声をかけてきた。風邪をひいてるのに、寝ていなくていいのだろうか。窓。四角くて明るい、緑色の窓。誘われるがまま、そこから身を乗り出すと、途端に世界が明るくなった。窓からは壁を伝って、錆び付いた外階段が伸びていた。階段を登ると屋上に出た。田舎の国道沿い。周りの建物も背が低かったから、随分遠くまで見渡せた。陽を遮るものはなく、屋上には乳白色の光が溢れていた。父の手にはシャボン玉があった。たぶん、下の店から持ってきたのだろう。その行為について、父からは何の説明もなかったが、ふたりでシャボン玉を飛ばした。地面に落ちたり高く登ったりするシャボン玉。僕は光の中を飛び交う虹色の泡を追いかけて走った。記憶はここで止まっている。祖父母の名字(=僕の名字)を冠した雑貨屋は程なく国道拡張工事によって取り壊された。それも20年以上前のことだ。再び訪れることは出来ない。インターネットを見ても、記録ひとつ残っていない。勿論、祖母や両親、親戚達は覚えているだろう。でも、あの光が溢れた、特別な屋上は、たぶん僕の中にしか存在しない。無数の人々がひしめき合う地球上に、自分だけの場所を持てることは幸せなことである。

トモダチ

パパ友のLINEグループを作ろう。そう言われたのは、休日の海浜公園。息子のクラスメートが集まるBBQ会場。息子は保育園に入って3年。主に母親達が地道に形成したネットワークで、この度の交流会が実現したのである。息子達は同い年でも、親の年齢はバラバラ。校風、社風、世代といった枠組みのない多種多様なパパ達。工事現場のパパ、部長のパパ、僕は埼玉に単身赴任のパパ。人生色々。年齢職業肩書が全然違うのに、子どもがタメだから対等、という歪な世界観。僕は人見知りだから、そういうトリックルームでは著しく心身を消耗する。仕事なら良いが、これは無給である。だいたい僕はBBQ自体好きじゃない。外で肉を焼くなんて旧石器時代みたいなことをやりたくない。野蛮である。熱いし煙たい。全然行きたくない。でも断ると妻から人間の屑扱いされる。頑張ってシフトを調整した。炎天下、嫌々赴いた会場。見知らぬ大人達がたくさんいる。ATフィールド全開。着いた瞬間帰りたいと思ったが後戻りは出来ない。僕は自分に喝を入れる為にも「おはようございまあす」とアホみたいに挨拶した。腹を括れば僕だって一応社会人。率先して肉を焼き、謙虚な笑顔でビールを配り、かつてボスが僕を評した「ちょうど良い気持ち悪さ」を全面に出して笑いを取ったりする。しかし全ては打算計算に満ちた行動。自分の立ち位置を探しているピエロ野郎に過ぎない。就職活動のグループディスカッションに似ている。初対面の不特定多数に心を開いたフリをする苦行。それが3時間も4時間も続く。久々の直射日光はいよいよ辛い。早く帰りたいが、子どもたちは死ぬほど楽しそうにしている。母親達も話題は尽きないようだ。僕はヤケ糞になって子ども達と氷鬼をした。超疲れた。そして誘われたパパ友LINEグループ。露骨に嫌だった。思い入れの無いコミュニティが休日、僕の携帯をバイブさせる憂鬱。そもそも最近、休日に携帯がブルブルするときは大抵職場からの悪い報告だから、スマホの通知=負の現象、と身体が調教されてしまっている。ポケットが振動するや否や、脳裏によぎる職場の風景。事件ですか、事故ですか。胃が収縮し、ほうれい線が2ミリ程深くなる。悲しい犬。まぁ通知は切るとしても、既読未読とかめんどくさい。休みの日までグループディスカッションしたくない。しかし僕だって大人だから、断らずちゃんと嬉しそうに加入しました。ええ、良いですよ。どっちがQRを出すんでしたっけ。フヒヒ。17時。ようやく終わった。満身創痍。風呂入って寝たい。そんな矢先、できたてのグループから通知。「パパだけで、この後飲みませんか!!??」僕は絶望した。マジで行きたくなかった。でも妻に行けと言われて行きました。妻子を置いて宴とは、腹立つが致し方なし…みたいな雰囲気を出されて納得いかなかった。行った先で、これからは皆、あだ名で呼び会いましょうよ!と工事現場のパパからゴリ推しされ、冷や汗が出た。以後、そのLINEグループは動かず安心している。あるいは僕を抜いて新しいグループを作ったのかも知れない。

 

僕は1人で遊ぶのが好きだから、特に大人になってからは一向に友達が増えない。1人で本を読んで1人で音楽を聴いて、1人で旅にでて1人で文章を書くのが至高。好きなものに囲まれて、好きなことをするってサイコー。かくして子宮内で自らの小便を飲む永久機関が完成する。それが僕。自意識が肥大化し、友達ができなくなる。要はプライドが高いのですね。よく言われます。「誇り高い」は百獣の王っぽいのに「プライドが高い」は完全に小物な不思議。思うに、前者と後者を分けるのは実力の有無だ。おかしいなー。俺は渋谷のハロウィンにも参加せず、サッカー日本代表も応援せず、ひとり高尚な思索に耽っているのに。その姿はさしずめ令和の鴨長明といったところか…等とPornhubのリンクを辿りながら考える。それが僕。加齢による改善を期待していたのだが、むしろ開き直って悪化する一方。天の川銀河は直径が10万光年あるのに、何故、僕の人間関係如きで一喜一憂しなきゃならんのか。部下を飲みに連れ出すことも無く、誘われても断る。職場のコミュニケーションは定時内で充分。勤怠を切ったら即帰宅。昔のように時間は余っていない。貴重な時間を他人の為に使うくらいなら、俺は帰って自分の為にエロヴィデオを見る。人生は短い。一向に友達は増えない。

友達を作るのは一大事業だ。長い年月をかけて、恥をかきながら、相手に自らの陰部を晒し続けないといけない。僕のプライドの高さ、面白くなさ、見苦しさ、気の利かなさ、下劣・凡庸な思考回路。その他諸々の、ろくでもない本性を暴かれ、時に叱られ、時に共感され、熟成される関係性。尻穴まで覗かれた経験が担保する信頼。無警戒で急所を露出できる安心感。それが友達。そんなものを今更作ろうにも、大人になった僕はグループディスカッションのスキルが高まって陰部を上手に隠しがちである。いいとこ口当たりの良い部分を切り売りして「ちょうど良い気持ち悪さ」を演じる程度。アンダーコントロール。打算が織り成す仮面である。こんなやり口で、仕事仲間は作れても友達は出来ない。

等と一貫して開き直れるのは、僕に数少ない友達が居るからだ。僕のクソさを知る友達が1人でも居れば、それ以上望むものは無い。その他の人々は、せいぜい僕のことをイイカジーに思ってて頂ければ良いのである。

夜が明けたら

2018年最終四半期、或る社内ランキングに於いて、自部署が全国3位に入賞した。慶賀すべき案件である。働いて頂いてる皆に感謝が尽きない。給与、賞与、査定に関わるものではないが、ここで働けることを嬉しく思う。立場上、僕が長を務めているが、彼、彼女らは、僕が来る前から優秀だった。僕はなにもしていない。ここに来て1年弱、未だに従業員の優秀さに毎日感動している。皆、とても真面目で、前向きで、謙虚な方々だ。何も言わずとも、真摯に、責任感を持って仕事に臨んでいる。僕としては、そうゆう教育やら指導、モチベーション向上に時間を使わなくていいから、非常にノンストレスである。何しろ僕は内省人間だから、出来るだけ他人に介入したくないし、他人から介入して欲しくない。なので、学級崩壊した組織の立て直しとかは嫌いなのである。

そんな僕であるからして、前部署は運営にとても苦労した。ナンバー2を務めていたが、かなり拗れた環境だったと思う。従業員は社員に不満を持っていたし、社員は従業員に不満を持っていた。慢性的にそれが続くと、仕事の質が下がり、数字と状態が落ち、社内外から評価を落とされ、責任者が叱責され、責任者が従業員を叱責し、一層険悪になりというクソ循環に陥る。連日僕の耳に入る苦情、陳情、愚痴、密告、悪口。無断欠勤、職務怠慢、規律違反の横行。ついでに、たまに本社から顔を出す上司もパワハラ野郎だった。上司、部下、顧客、上下左右、360度からの集中砲火。ストレスで非常階段にうずくまり、動けなくなったこともある。当時の僕のことはあまり好きでない。ちょっと鬱入ってた気がしなくもない。具体的な事象は書けないし、一番キツかった1年間は不思議とあまり記憶がない。思い出したくもない。

組織を変えることに挫折した僕は、一個人として強くなる努力をした。どんなに糞な案件であろうと、この建物の中で起こった事象は全て自分の責任として解決する。感情を動かさない。特に負の感情は駄目だ。毎日溢れるクソな案件で、いちいち感情を動かされたら、人間性がいくつあっても足りない。「優雅に生きることが最大の復讐」というフィッツジェラルドの台詞(村上春樹氏 引用)をマントラのように唱えた。ここが痰壺の底であるなら、痰壺の底で学べることは全て学ぼうとした。道を示してくれたのは途中から変わったボス(ナンバー1)だった。今だに感謝が尽きない。異動するときは虎屋の羊羹をあげた。「俺たちは備品だ」とボスは言った。「壊れたら替えの効く備品だ。自らを、そう考え続けるのが俺たちの品性だ。だが、それは俺たちの論理であって、品性を欠いた他人から求められるものではない。そして、品性の無い人間に対して、俺たちが我慢をする必要は無い」。最初は上手くいかなかったが、次第に余裕がでてきた。従業員同士の喧嘩に笑顔で乱入し、終わらない不平・不満のジャングルに身体ひとつで潜り込んだ。トラブルは減らないが、動じず怒らず、最短距離でリカバーできるようになった。携帯電話からパワハラ上司の罵声が鳴り止まなくても、無感情で要点をメモり、先回りして要求に答えた。キツイ状況はボスが笑いに変えてくれた。日常の理不尽さ全てを笑った。上司に怒鳴られた回数を2人で競った。頻度が少ないと「最近たりてないだろ」と言われた。僕は「確かに不足してますね」と、その場で上司に無駄な電話を掛け、怒鳴られた。2人で笑った。狂ってる。苦難が常態化し、養分となり、僕はマゾ気違いの備品として存在意義を見出した。結果として、僕は当時の従業員、そして上司から、それなりの信頼を得られたと思う。でも、頑丈な備品として認められただけだ。機能的で耐久性のある尻拭き。組織を変えることは出来なかった。むしろ、「責任は責任者が取る」「困ったら誰かが助けてくれる」という甘えた環境を助長しただけだったのかもしれない。

そんな環境にどっぷり3年半浸り、遂にナンバー1として現部署に着任。僕はあまりの環境の良さに感動した。誰も僕を備品の様に扱わなかった。僕は従業員らが素早く外線を取るだけで感動した。笑顔で挨拶してくれるだけで感動した。真摯に仕事に向き合う姿勢に目頭が熱くなった。こんな場所が存在することを知らなかった。初めて、前部署も変えられたかも知れない、と自らの力不足を恥じた。だから、僕は彼・彼女たちを褒めまくった。死ぬほど褒めた。感動を伝えた。すごい。貴方達はすごい。ここで働けて幸せである。皆訳のわからない顔をしていたが、構わず褒めた。報告がちゃんと入るたびに褒めた。ミスを素直に詫びに来ただけで褒めた。一部署のボスとして満足のハードルがあまりに低い気がしたが、構わず褒めた。自身の仕事も変化した。従業員との会話や、一緒に汗を流して働く時間が増えた。彼らの真っ直ぐな行動に、自分自身の背筋も伸ばされた。笑うことが増えた。苦難を笑い飛ばすようなものじゃなく、普通のやつ。自分の部署が好きになった。そうして初めて、従業員満足顧客満足、社会貢献という概念を心から考えられるようになった。そして全国3位の入賞。僕は朝礼で一人、バンザーイをしたが、みんな「はぁ、よかったですね」と微笑するのみ。以後も奢ることなく粛々と仕事をしてくれている。どんなに凄いことか分かってない。僕ばかり感動している。感謝が尽きない。

ただこの1年、従業員の皆にある程度貢献できているのは、前部署の経験があるからだ。責任者は只の備品、という考え方は今でも役に立っている。トラブルの気配を察すると即全身で覆いかぶさって鎮火。重い荷物を担ぎ、便所で糞が溢れたら誰よりも早く向かう。拗れた人間関係に笑顔で乱入する。僕が責任を負い、僕が気にしなければ誰も傷つかない。とてもイージーな世界だ。そして仕事のあるあるネタや、溢れた糞の内容物について、休憩室で笑い合うひとときが最高だ。昔だったら心を乱されている案件も、一度マゾ気狂いになった経験があると、久々の養分にすら感じられる。この前はバンドマンの従業員が怒って「言葉に出来ないっす」と激しく訴えてきたが、僕の心は穏やかである。「言葉に出来ないなら、曲を作ればいいじゃないですか?マイナーコードですか?」と真顔で聞いた。「いや、パワーコードですね」と音楽の話になって解決した。前部署の経験があってこそである。上司も変わり、優しすぎて気味が悪い。かなり快適な環境である。同時に、平和過ぎて若干物足りないとも感じてきた。そんな折に妻が2人目を身籠り、家庭の緊張感が半端なくなった。いつまで私を一人にするのか。という無言の、というか、めっちゃ言ってくる圧力。仕事のストレス体制はついたが、家庭内ストレスには全然上手く対応できず、僕は瞼が痙攣した。マジできつい。色々考え、話し合って、先日、横浜に帰る申請を会社に出し、受理された。正式に決まってはいないが、この快適な職場も夏くらいまでとなる。少し寂しいが、今の部署の経験がまた、次の部署にも役立つと思う。ここまで組織を良くできる、と知れた今、前部署のような場所に着任したとしても、諦めず何かしら変えられる気がする。新しい時代。第二子は令和元年生まれになる。

Liberty & Gravity

K村智明さん(以下 K村氏)は35歳で大手自転車メーカーを脱サラ。地元である鈴音市の駅近交差点に夢であったサイクルショップを開業した。鈴音市はこれといった観光資源も産業も無い田舎町。人口6万7千。国道が市内を縦断しているため交通量は多いが、通り過ぎるだけだから誰の記憶にも残らない。3年前に「1㎢あたりの鉄塔数が日本一」という無理矢理捻り出したアイデンティティを、住民もピンと来てないままに設定。市のゴリ押しによって最近は商店街も鉄塔フライドポテト、鉄塔パフェなど安易な商品開発を始めた。インスタ映えで若者ウケを狙っているが、せいぜい老人しか読まない地方紙の片隅に取り上げられる程度。そんな鈴音市も昨今では首都圏人口集中の恩恵に預かっているような、いないような。市長選になると再開発が叫ばれていた。この町はまだまだ発展します。人が増えます。地価が上がります。映画館を作りましょう。マンションを建てましょう。急行を止めましょう。街コンを開きましょう。市の温度感と裏腹に、住民の過半は地元のポテンシャルに限界を感じていた。都内通勤圏、と偉そうな人が口泡しても、誰もこの町から70分かけて通勤したいとは思わなかった。しかし、K村氏はこの計画に乗った。いっちょ俺も、地元の発展に貢献してやろう。会社勤めに惰性を感じていた彼は、鈴音で展開される薔薇色のビジョンに自分の未来を重ねた。未婚だったため決断からの行動は速い。貯金を大胆に切り崩し、駅前の薬局チェーン店向かいに晴れて自らのショップを開業したのである。それは現在の町並みには不似合いな、オシャレな店だった。フローリングに並んだ高級な輸入自転車。最低価格は69900円(税別)。店の中央にはシンボルとして100万円の高級車(非売品)を展示した。ガラスの壁面。店のロゴはデザインを齧った友人に頼んだ。30坪に満たないロードサイド店舗でK村氏は自らの夢、そして鈴音市の未来を表現した。

しかし、開業して1年経っても、町に変化は無かった。一地域が、そう短期間で発展する訳無いのだが、K村氏の体感で1年は長かった。ハネムーン期間は早々に終わり、現実的な自営業の悩みが夢の舞台を侵食していった。需要が跳ねると踏んでいた輸入自転車は思うように売れない。市民は相変わらず、カゴの着いた、安価で実用的なママチャリを欲していた。訪れる人々はK村氏にママチャリのパンク修理や空気入ればかり要求した。Googleで店の評価は星2.4。「空気入れを自分でやらされた」「品揃えが悪い」「見積無しに2800円修理に取られた」など辛辣なコメント。星5つも何人か付けていたが、具体的なコメントは無かった。客足は伸びず、若者達はドンキホーテで買ったハマーの折畳み自転車に乗っていた。自分は、この田舎のクロスロードに30~40年へばり付いて、老いていくのだろうか。徐々に気分が落ち込み、店のFacebookやブログも更新が止まった。統計を見ると、鈴音市の人口は前年比で500人ほど減っていた。

転機があったのは開業2年目。市のアピールが実って朝の情報番組で「鉄塔の町、鈴音」が10分間紹介される。K村氏の店も地元で頑張る自転屋として30秒間紹介された。一週間後、ニュースを見たサイクリング趣味のグラビアアイドルがプライベートで来店。非売品の高級車と写真を撮ってツイートした。その写真を見たネット民が「自転車のハンドルに胸が押し付けられ、胸の形が変わっているように見えるor見えない」という議論をリプ欄で勃発させる。記事が2ちゃんねるまとめに掲載され拡散。遠方からハンドルを触りに来る大人が複数来店するようになった。K村氏は増加する客数に喜びを感じたが、実質的な需要増ではないことを理解していた。この商機を逃すまいと自転車以外の物販も行うようになった。レジの前にお茶と喉飴を置いたら思いのほか売れた。携帯の充電器やマスクも売れた。立地が良かった為、必需品を置けば誰かしらが買っていくことを発見した。自転車売場の面積は小さくなったが、K村氏は仕入れた在庫が売上に変わる回転が楽しかった。近くの農家が野菜を置きたいといい、快くOKした。入口に食品を置くと更に客層が広がった。地元の饅頭や煎餅、地酒も扱うようになった。ガラス張りの壁面には市内のコンサートや商工会のビラが貼られた。客数が増えるほど、地元に貢献している実感を得ることが出来た。経営は軌道に乗り、K村氏は街コンで出逢った動物園の飼育係と結婚した。

5年後、K村氏の店は市に目を付けられ、町のアンテナショップになった。輸入自転車の販売はやめてしまったが、シンボルの非売品は健在だ。由来は忘れられたが、商売繁昌のご利益があると、擦り切れたハンドルを撫でにくる自営業者がたまにいる。鈴音市は相変わらず何の変化も無いが、今年から小さな花火大会を始めるらしい。

月曜日の週末

今日は休みだ。7:30起床。いつものように朝、労働に出る妻を見送り、息子を着替えさせる。今日はひとりで着替えられていたが、トレーナーの前後が逆だった。背中にミッキーマウス。一度腕を抜き、直してやる。朝食は握飯(のりたま)と目玉焼き、ウインナーだったが、息子は握飯だけ食べ、もう要らないと言った。僕も朝は食欲が無いから、代わりに食べてやることが出来ない。目玉焼とウインナーが居心地悪そうに、ウォールナットのテーブルに残っている。息子を保育園に送る。今日は雨だ。冷たい2月の雨。電動自転車に乗らず、2人で裏道を歩いた。神社があり、池がある。亀は秋から見ていないが、鯉は寒くても泳いでいた。息子に、亀は秋から見ていないけど、鯉は寒くても泳いでるね。と声をかける。うんそうだね。と言う息子は背が低く、傘に隠れて頭が見えない。夏は制止を振り切って水たまりに飛び込んでいた息子だが、今日は言わなくても避けて通る。保育園に着く。息子は庭で靴を脱いで、結局靴下が濡れてしまった。出席のシールを貼り、上着をかけ、タッチをして別れる。先生に頭を下げる。息子は毎日よくやってる。休みの日くらい、早めにお迎えに行ってやろうと思う。

9:30。傘をさし、ひとりで歩いて家に戻る。帰ってまず衣類をまとめ、全自動の洗濯乾燥ボタンを押す。残り時間2時間45分。と表示される。掃除をする。散らばったトミカプラレール、お絵かき帳、絵本等を掻き集め収納する。テーブルの食器類は食洗機に放り込む。布団と昨日の洗濯物を畳む。自分で掃除機をかける。ルンバは今ひとつ信用できない。妻に頼まれた換気扇の埃落としをする。炊飯器に米を入れ、極旨モードで18時に予約する。

11:30。一息付いて、しばし自由時間となる。近所の家系ラーメンに行った。いつもは店の外に10人以上並んでいるが、雨の日は比較的並ばずに入れる。たぶん工事現場が休みだからだ。横浜家系発祥を自称する割には、中国人ばかり働いている。元祖はやはり横浜駅吉村家では無いだろうか。この店の良いところは水がよく冷えてることだ。家系は食後の冷水がラーメン以上に美味い。焼豚の屑が乗ったライスとキャベツを付けて950円。

12:30。食後、やはり雨の中を歩いて珈琲を飲みにいく。チャンドラーのプレイバックを読む。初老男性が2名、隣の席で議論している。よく通る声ではっきり喋る。聴衆を求めているのだろう。集中できないから、本を読むのを諦め耳を澄ませるが、意味が解らない。「社会主義とか共産主義とか、純粋なのが宗教というのなら、それは今の時代にそぐわないでしょう」「だから、ああゆう、進展が、いいんです。そうゆうのが。訳わかんない。そうゆうのも、あるし。そうゆう論理的思考が時代に合わない。そうゆうのはあるかもしれない。日本的に」「理屈で考えたら僕の言ってること可笑しいぞって、いわれてた訳だけども」「それを闘争、というのは無理です。理屈はわかった。でもそれを採用するのは感情的に、無理です。そう言われたらこちらもお手上げですよ」豪快に笑う2人。そして暫し沈黙。気が狂っているのだろうか。僕が馬鹿なのだろうか。こうして文字に起こしても何一つ理解出来ない。時間が過ぎる。今日も早くお迎えに行けそうにない。父親業の怠慢を感じ、申し訳なくなる。

15:30。近所のスーパーに買い物に行く。鮭の切り身とトマト缶、各種野菜、りんごジュース、お茶、食パン、苺を買う。帰って鮭と野菜をフライパンで焼き、火が通ったらトマト缶を入れる。煮立ったらコンロを止め、余熱に任せる。

16:30。息子の誕生日に買った赤い自転車のハンドルを片手で転がし、保育園に向かう。雨が止んで、雲の割れ目から陽が射す。遠くの台地に霞がかかっている。カスピ海みたいだな、と思うが、カスピ海については何一つ知らない。だいぶ日が長くなった。まだ明るいから、息子はパパが早く迎えに来たと思ってくれるかもしれない。息子は大教室でトムとジェリーを見ていた。僕の顔を見ると走ってくる。持ってきた自転車を見て狂喜する。息子は可愛いな、俺なんかに懐いて。今日は2人で近所まで電車を見に行った。息子は僕のアイフォーンで京急電鉄の写真を撮り、茂みで立小便をした。

17:30。家に帰る。フライパンを再度加熱し、味を調える。息子はYouTubeを見始める。キュウリと惣菜のコロッケを添えて食わせる。鮭とホウレンソウは食べたが、ピーマンを吐かれた。

18:30。妻が帰る。今日は比較的食欲があり、僕が作ったものをちゃんと食べる。僕になにか言いたいことがありそうだが自制しているように見える。睡魔に襲われ、妻は早々に布団に入る。

20:00。息子と風呂に入る。鼻水が出始めていて心配だ。いろんな虫の形をしたスポンジを体に貼り付けて遊ぶ。風呂から上がると、息子はまたYouTubeを見始める。ドライヤーを当て、野菜ジュースを与える。

21:00。息子が寝る。明日の出勤時間と乗るべき電車、睡眠時間について考える。ジョンチーヴァーを読む。日記を書く。

23:00。就寝。