心音風景

計算すればたぶん3才の頃だが、記憶がある。鹿児島県垂水市桜島が大きく見える海沿いの田舎町。祖父母が営む雑貨屋の上階は居住スペースになっており、狭くて急な階段を上がった先、ひとつ目の和室に祖父は横たわっていた。外は快晴。2階廊下、洗濯機近くの小さい窓から、陽に照らされた草木が見えた。部屋が薄暗かったので、その四角く切り取られた緑色が印象深い。父親の姿がしばらく見当たらなかった。母に向かって、退屈だから父と遊びたいと言うと、お父さんはお熱があるから、今日は遊べないと言われた。父も熱が出て寝込むことがあるんだ、と感心した。仰向けになった祖父の周囲には何人か正座していて、皆とても静かだった。しばらくして、どこからともなく父が現れ、声をかけてきた。風邪をひいてるのに、寝ていなくていいのだろうか。窓。四角くて明るい、緑色の窓。誘われるがまま、そこから身を乗り出すと、途端に世界が明るくなった。窓からは壁を伝って、錆び付いた外階段が伸びていた。階段を登ると屋上に出た。田舎の国道沿い。周りの建物も背が低かったから、随分遠くまで見渡せた。陽を遮るものはなく、屋上には乳白色の光が溢れていた。父の手にはシャボン玉があった。たぶん、下の店から持ってきたのだろう。その行為について、父からは何の説明もなかったが、ふたりでシャボン玉を飛ばした。地面に落ちたり高く登ったりするシャボン玉。僕は光の中を飛び交う虹色の泡を追いかけて走った。記憶はここで止まっている。祖父母の名字(=僕の名字)を冠した雑貨屋は程なく国道拡張工事によって取り壊された。それも20年以上前のことだ。再び訪れることは出来ない。インターネットを見ても、記録ひとつ残っていない。勿論、祖母や両親、親戚達は覚えているだろう。でも、あの光が溢れた、特別な屋上は、たぶん僕の中にしか存在しない。無数の人々がひしめき合う地球上に、自分だけの場所を持てることは幸せなことである。