Liberty & Gravity

K村智明さん(以下 K村氏)は35歳で大手自転車メーカーを脱サラ。地元である鈴音市の駅近交差点に夢であったサイクルショップを開業した。鈴音市はこれといった観光資源も産業も無い田舎町。人口6万7千。国道が市内を縦断しているため交通量は多いが、通り過ぎるだけだから誰の記憶にも残らない。3年前に「1㎢あたりの鉄塔数が日本一」という無理矢理捻り出したアイデンティティを、住民もピンと来てないままに設定。市のゴリ押しによって最近は商店街も鉄塔フライドポテト、鉄塔パフェなど安易な商品開発を始めた。インスタ映えで若者ウケを狙っているが、せいぜい老人しか読まない地方紙の片隅に取り上げられる程度。そんな鈴音市も昨今では首都圏人口集中の恩恵に預かっているような、いないような。市長選になると再開発が叫ばれていた。この町はまだまだ発展します。人が増えます。地価が上がります。映画館を作りましょう。マンションを建てましょう。急行を止めましょう。街コンを開きましょう。市の温度感と裏腹に、住民の過半は地元のポテンシャルに限界を感じていた。都内通勤圏、と偉そうな人が口泡しても、誰もこの町から70分かけて通勤したいとは思わなかった。しかし、K村氏はこの計画に乗った。いっちょ俺も、地元の発展に貢献してやろう。会社勤めに惰性を感じていた彼は、鈴音で展開される薔薇色のビジョンに自分の未来を重ねた。未婚だったため決断からの行動は速い。貯金を大胆に切り崩し、駅前の薬局チェーン店向かいに晴れて自らのショップを開業したのである。それは現在の町並みには不似合いな、オシャレな店だった。フローリングに並んだ高級な輸入自転車。最低価格は69900円(税別)。店の中央にはシンボルとして100万円の高級車(非売品)を展示した。ガラスの壁面。店のロゴはデザインを齧った友人に頼んだ。30坪に満たないロードサイド店舗でK村氏は自らの夢、そして鈴音市の未来を表現した。

しかし、開業して1年経っても、町に変化は無かった。一地域が、そう短期間で発展する訳無いのだが、K村氏の体感で1年は長かった。ハネムーン期間は早々に終わり、現実的な自営業の悩みが夢の舞台を侵食していった。需要が跳ねると踏んでいた輸入自転車は思うように売れない。市民は相変わらず、カゴの着いた、安価で実用的なママチャリを欲していた。訪れる人々はK村氏にママチャリのパンク修理や空気入ればかり要求した。Googleで店の評価は星2.4。「空気入れを自分でやらされた」「品揃えが悪い」「見積無しに2800円修理に取られた」など辛辣なコメント。星5つも何人か付けていたが、具体的なコメントは無かった。客足は伸びず、若者達はドンキホーテで買ったハマーの折畳み自転車に乗っていた。自分は、この田舎のクロスロードに30~40年へばり付いて、老いていくのだろうか。徐々に気分が落ち込み、店のFacebookやブログも更新が止まった。統計を見ると、鈴音市の人口は前年比で500人ほど減っていた。

転機があったのは開業2年目。市のアピールが実って朝の情報番組で「鉄塔の町、鈴音」が10分間紹介される。K村氏の店も地元で頑張る自転屋として30秒間紹介された。一週間後、ニュースを見たサイクリング趣味のグラビアアイドルがプライベートで来店。非売品の高級車と写真を撮ってツイートした。その写真を見たネット民が「自転車のハンドルに胸が押し付けられ、胸の形が変わっているように見えるor見えない」という議論をリプ欄で勃発させる。記事が2ちゃんねるまとめに掲載され拡散。遠方からハンドルを触りに来る大人が複数来店するようになった。K村氏は増加する客数に喜びを感じたが、実質的な需要増ではないことを理解していた。この商機を逃すまいと自転車以外の物販も行うようになった。レジの前にお茶と喉飴を置いたら思いのほか売れた。携帯の充電器やマスクも売れた。立地が良かった為、必需品を置けば誰かしらが買っていくことを発見した。自転車売場の面積は小さくなったが、K村氏は仕入れた在庫が売上に変わる回転が楽しかった。近くの農家が野菜を置きたいといい、快くOKした。入口に食品を置くと更に客層が広がった。地元の饅頭や煎餅、地酒も扱うようになった。ガラス張りの壁面には市内のコンサートや商工会のビラが貼られた。客数が増えるほど、地元に貢献している実感を得ることが出来た。経営は軌道に乗り、K村氏は街コンで出逢った動物園の飼育係と結婚した。

5年後、K村氏の店は市に目を付けられ、町のアンテナショップになった。輸入自転車の販売はやめてしまったが、シンボルの非売品は健在だ。由来は忘れられたが、商売繁昌のご利益があると、擦り切れたハンドルを撫でにくる自営業者がたまにいる。鈴音市は相変わらず何の変化も無いが、今年から小さな花火大会を始めるらしい。