1_もうすぐ帰るよ

単身赴任になって9ヶ月程経つ。

話すと長いが家族は横浜に残り、僕は埼玉で仕事している。横浜の家は中々住み心地が良いが、単身の家は網走の刑務所みたいな所だ。築年数がタメ。陽当たりゼロ。僕が産声を上げてから、今日に至るまで、平成30年間、一度も日光が当たっていない6畳一間。想像出来るだろうか。そんな不幸な空間がこの世界に存在するのだ。齢30を超えてこんな場所に住むとは…。とは言え、僕は基本的には楽観的な人間である。呼び方によっては別荘。都会の喧騒を離れたJR駅徒歩7分の隠れ家である。書斎を持つのは夢だった。アーロンチェア。壁一面の本棚。一枚板のデスク。執筆用のiMac。間接照明。ウンベラータ。アルフレックスのソファ。珈琲ミル。グレッチのエレキギター宮崎あおいさんの写真集。来るべき新生活を前に、僕のプランを妻に開陳したのだが、ちょっと楽しそうなオーラを出したのが不味かった。「一時的な単身赴任に何故そのようなものが必要なのか」と全却下。ニトリの折畳みテーブルと丸椅子しか買って貰えなかった。悲しい。ベッドも無し。床にマットレスを直接敷いて寝ている。この使い方は湿気が溜まってカビやすい。僕はそうゆうの結構詳しいんだけど、ベッドを買えないから仕方ない。毎日マットを壁に立てかけ家を出ている。洗濯機が無いからコインランドリーに行く。冷蔵庫はあるが、旅館にある奴くらいで冷凍できない。中には賞味期限の切れた納豆2パックとビール。炊飯器が無いから土鍋で米を炊く。弱々しい換気扇。点滅する蛍光灯。冷たい便座。見たことないデザインのダサい鍵。薄暗い廊下ですれ違うご近所様は、漏れなく訳アリな感じに見える。僕も、彼らからそう見られている事だろう。ポストには身に覚えのないチラシがバサバサ投げ込まれる。そんなマイ別荘。悲しい。仮に僕が新入社員として、上司がこんな家住んでたら転職しますよ。この前も新入社員に「掃除機持ってんすか?」と聞かれた。持っていない。部下に申し訳ない。尊敬される人間でありたい。

 

そうゆう状況下、週2回の休みはほぼ欠かさず横浜に帰っている。横浜の家ではルンバが浅田真央の様にクルクル滑走している。食器洗乾燥機。ドラム式洗濯乾燥機。自動風呂焚き。温室便座。オートロック。宅配ボックス。ブルーレイ。ディンプルキー。ホットカーペット電動アシスト自転車…。贅を尽くした21世紀型住宅である。僕が世紀末の網走刑務所から毎週家に帰るのはその設備を享受するため、ではなく家事をするためである。妻が労働に出ている間、掃除洗濯。子どもの送迎。 夕食の支度を行い妻を待ち構える。僕も21世紀型、全自動家電のひとつに過ぎないのでは。と思う。悲しい。しかし文句は言わない。愛する妻は、子どもをひとり抱え、満身創痍なのだ。僕は埼玉の別荘で、小鳥達と優雅に木の実を食べて暮らしているにドワーフに過ぎない。経験上、この状況下、文句を言ったところで、決して幸せになれない。荒れ狂う大海に、ボートの上から叫んでも意味がないのだ。だから僕は今日も終電で横浜に帰り、始発で埼玉に出勤する。片道2時間、1500円。毎週6000円が上野東京ラインの車輪に巻き込まれ消えていく。ジーザス。この生活も間も無く一年。自腹で乗ったグリーン車。もし隣席に宮崎あおいさんが居たら、きっと僕は彼女の胸に顔を埋め、一粒だけ涙を流すであろう。それくらいの権利はある。悲しい。